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酒井浩之×玉乃淳 “どうしても見てほしい世界”

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レアルのリアル

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DSCF8164玉乃 ドリーム・ノートには「マドリード行き」をいつと書いたんですか?大学院に行くわけですから、結構な勉強量なはずですよね?しかも当時働いていましたよね?  

酒井 半年後の試験を受験しようと計画しました。一刻を争っていましたからね。そう、会社勤めしながら、暇さえあれば英語の勉強をしていました。それまで所属した外資系企業で英語をずっと使っていましたが、アカデミックに勉強したことがなかったので苦労しました。同時にお金も貯めなくてはならないですから。家にあるモノを片っ端からオークション・サイトで売りさばいて、お昼ご飯は毎日吉野家の牛丼にコーヒー。全然飲み会にもいかず、1日450円、それ以上は使わないと心に決めました。家賃も3万円ぐらいの所に引っ越そうかと思っていましたが、当時半年ぐらい付き合っていた彼女…いまの妻なんですが…彼女が自分の家に向かえ入れてくれたんです。実はそれ以前にも結構助けてもらっていて、妻は料理家だったので、仕事でつくった料理が余ることもあり、「捨てるくらいなら、頂戴。」とお願いしていました。 

玉乃 なんだか、スーパーかっこいいのか、ダサすぎるのか紙一重ですね、ヒロ君のその発言(笑)。  

酒井 本当に生きるか死ぬかでした。その後も彼女の献身さに助けられながら、奇跡的に試験に合格、いよいよマドリード行きです。合格通知の当日のことは生涯忘れないですよ。 

玉乃 努力が実った瞬間ですからね…。 

酒井 いや、そうではなくて。…その日妻に呼ばれたんです。「話がある。」と。いつもとは違う雰囲気で向かい合ったんです。ここまで支えてもらって養ってもらって、で、またもう1年スペインに行くわけですよね、しかも留学で。だから、さすがにフラれてしまうのかなと思いました。自分勝手なことばっかりしていましたから、そうなっても仕方ないですよね。受け入れる覚悟はしていました。 

「子供ができた。」  

それも数か月前から…彼女黙っていたんです。子供ができたことを知ったら僕が留学をあきらめて、子供のためにも日本でそのまま働くと言い出すだろうと思ったみたいで…。そんなに真剣に挑戦している人を引き留めることはできないって。  

玉乃 神じゃないですか。  

 

玉乃・酒井 …。 

 

玉乃 泣きそうなんですけれど。  

DSCF8091酒井 僕も。そのときは超泣いた。
たしかに思い返せば、体調悪そうにしていて。でも、花粉症とか言ってごまかされていました。申し訳ないことに気付かなかったんです。本当に自分のことしか考えていないんだなって、そのとき反省しました。彼女は料理家としてフランスに留学した経験もあるから、僕の気持ちを理解してくれていて、チャレンジを心の底から応援してくれていたんですよね。子供が生まれて10日ほどで出発しました。妻と子を残して。MBA取得プログラムの受講期間である1年間という約束のもと。  

とにかく必死で勉強しました。卒業できるように。当然授業は全て英語、日本語でも知らないような英単語と向き合いながら、絶対に卒業してやるって。それと同時にプレゼン資料を作って、レアル・マドリードにインターンシップを申し込むのですが、なぜか、在学生100人の中で僕だけが採用されました。理由は恐らくですが、「控えめな日本人」だったからでしょう。なりふり構わない勝手な発言の連発で外資系企業を転々としていた僕が、他の国の人たちより、おそらく空気が読めるようになっていたからだと思います(笑)。相手の話をよく聞いて、彼らのニーズを汲み取るように、こちらから日本のマーケットや、のちにバルサのスポンサーとなる楽天の戦略的意図について等をまとめて、プレゼンしました。ちょうどその頃、レアル・マドリードがチャンピオンズリーグを制覇してクラブワールドカップで来日することが決まっていたので、「僕を使わない手はないですよ。」とも付け加えました。あのとき(チャンピオンズリーグ決勝)は、勝って来日となれば、自分にも大きなチャンスが巡ってくるだろうと思っていたので、心の底から応援していましたよ。実際、「正社員」としてレアル・マドリードと契約をしたのはクラブ・ワールドカップ後でした。大成功に終わったクラブ・ワールドカップ直後、間髪入れずに再度自分を売り込んで、存在価値をアピールしました。そこでやっと手にしたんです。 

DSCF8180玉乃 わお。  

酒井 飛び上がりますよね。1人でガッツポーズしちゃいました。あのレアル・マドリードで、本当の意味でチームの一員になれた瞬間でしたから。  

すぐ、妻に連絡して、歓喜の報告をしました。同じ夢を見ていてくれた妻も喜んでくれました。もう約束の1年間はすぎていました。でも電話越しに、「シーズン途中で帰ってくるなんてカッコ悪い。こっちは頑張るから最後まで頑張って。」って言われました。生まれたばかりの娘を一人で育てて、相当な不安や負担も当然あったと思うんですけれどね。僕は…レアル・マドリードの一員になったとはいえ、妻子をスペインに呼んで生活できるほどの給料なんていただいてはいませんでしたから、妻のコトバにただ勇気づけられるだけで、引き続き単身で、掴んだばかりの夢のような舞台に留まりました。絶対に「夢のよう」で終わらせてはならないと心に誓いました。まずは、警備員や裏方の方々、全スタッフの名前を覚えました。自分のことを覚えてもらうために、どこに行っても挨拶を徹底しました。身だしなみにも気を遣い、いつ訪れるか分からないチャンスに神経を研ぎ澄ませました。誰でもできる当たり前のこと…そんな当たり前のことを徹底的にやっているうちに、幹部であるブトラゲーニョやラウールなどのクラブのレジェンドにも名前を憶えてもらえるようになりました。本当に高揚する毎日で、断続的な緊張のある日常でした。 

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胸元にはエンブレムが光る