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家本政明×玉乃淳 “笛と共に生きる”

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「中東の笛」が話題になり、ここ最近またクローズアップされている「審判」。今回のスペシャルゲストはその「審判」、日本を代表する国際審判員の1人である、家本政明氏です。

実は、この対談をオファーする際に、多少の不安を覚えました。僕自身、選手としては引退しているものの、解説者という立場もあり、公平・公正・公明とされる審判と対談することは、はたしてよいことなのか、とてもセンシティブな問題ではないのかと悩んだのです。家本氏の意見を伺うという意味も含めて、まずは相談レベルでと、お伺いを立てたところ、二つ返事で、「是非やりましょう」と、ご回答をいただきました。ピッチ外では、「はじめまして」となる、この希少な対談を通じて、「審判」という職業への理解はもちろんのこと、普段はあまり明かされることのない家本政明氏という人物像に迫りました。

 

 僕らも選手と同じ人間

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玉乃 家本さん、はじめまして。ピッチではお会いしたことがありますが、「外」では「はじめまして」です。なぜか、とても緊張しております(笑)。

家本 え、どうしてですか?緊張する必要なんてないですよ(笑)。

玉乃 心が鋼のように強いレフェリーの方の前だからだと思います。ある種の偏見、勝手な想像ですが。でも職業柄いろいろとピッチの内外で言われてしまいますよね?耐え得るだけの鋼の心の持ち主なのかなと…特に家本さんはかなりメンタルが強靭というイメージです。それは久保タツさん(編集部注/久保竜彦氏との対談~「日本人離れ」と評される元日本代表FW)から聞いた情報の影響でもあるんですけれど。家本さんのことを「男のなかの男」と、あのタツさんが崇拝していましたよ。

img_7602-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc家本 ははは。「あれ」ですね!?「野生の鹿」事件ですね。あれは子供たちを守るためだったからね。必死でした。怪我のリハビリで、たまたまタツと同じ先生のところに通っていたときの話なのですが、山のふもとに鹿が出て来ちゃいまして。「子供たちがいたからなんとかしないと!」とタツも僕の師匠もそう思ってね。タツが、遠くから石を投げて追い払おうとして、余計に鹿を怒らせちゃって…。

玉乃 あれ?タツさんから聞いていたのは、タツさんが果敢に立ち向かっていったという話でしたけれど?(笑)

家本 遠くから石投げて、ただ鹿を怒らせただけだね。

玉乃 ええええええ。

家本 僕は師匠に加勢して、子供たちが逃げられるようにと鹿を押さえつけたの。そうしたら膝にツノが入ってしまって「ああああ」ってなっているわけ。師匠も腹部にキツい一発もらってしまって、2人で「ああああ」とか言って。で、ふとタツを見たらダッシュで逃げて行った。まぁ、人を呼びに行ったんだけれど、石投げて鹿を興奮させて、逃げるように人を呼びに行った(笑)。

一同 爆笑

家本 それで、なんとか時間を稼いで、無事に子供たちを鹿から遠ざけることができました、という話ね。

玉乃 もうカオスですね。そのシーンを想像しただけで吹き出しそうです。

家本 ですよね(笑)。

玉乃 すみません、冒頭から話が脱線気味で。しかし家本さんがどういう人物、どういう男なのか、今のエピソードでなんとなくわかりました。早速、審判の道に進むまでの経緯を教えていただけますでしょうか?

img_7790-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc家本 実は大学までサッカーをやっていたんですよね。高校生のときから練習中に吐血をするようになってしまって、大きな病院行ったらそれこそ難しい病名を言われました。これはマズいと、選手としては諦めざるをえなくなりました。でもサッカーは好きだから関わりたいわけですよね。どうやって関わるかと見渡してみると「審判」という選択肢があったんです。高校生のときから「審判」ってオモシロイなと感覚的に思っていました。実際にやってみると、直接プレーはしていないけれどサッカーには直接関わるわけで、自分の目の前で自分の頭の中の想像通りにサッカーが展開されたり、そうでなかったり、1つのプレーごとにボールを蹴っていた時には感じなかった別の感情の起伏が生じるんですよね。そこが単純にオモシロイなって、まず思いました。特に予想を裏切るというか、僕の想像を遥かに超えた素晴らしく、美しいサッカーが自分の目の前で展開されていくのがすごく楽しく感じました。あとは操作しているっていう感覚ですね。ファールの場面でプレーを止めたり、プレー続行を進めたりね。選手も監督も見ている人の誰も「自分の意思で」試合を止めたり促したりできませんから。責任重大だけど、審判だけにしか味わえない感覚でもあります。その感覚がとても新鮮で、自分自身のマニアックな部分に火がつきました。
今でこそ中学や高校時分からトップレフェリーを目指そうと審判の世界に入ってくる若い人が大勢いますが、当時、まだその世界に若い人がいなくて、組織としては若い人が欲しかったみたいで、色々指導していただきました。選手としてサッカーを断念してから、大学通いながらカイロプラクティックの専門学校に行き、卒業後の進路はいくつかの選択肢から、今の京都サンガに入社することにしました。チーム管理や試合運営といった仕事をしながら空いた時間にトレーニングしたり審判をしたりしていました。

玉乃 審判は「楽しい」という感覚を高校時代から持ち合わせていたんですね?

img_7782家本 そうです。例えば、明らかなファウルがあって選手が倒れているとしますよね。けれどもチャンスと見た味方選手がプレー続行して僕が反則を流す。ファウル受けた側は当然怒っている人でいっぱいなのに、そのままプレー続行されてそのあとでゴールが決まったりすると、さっきまで怒っていた人たちの怒りが、その瞬間「ウォー」って、歓喜に変わるわけです。そうなると「よし!」っていう嬉しい気持ちになりますね。選手は攻めて守る。監督は勝利を導く。お客さまは見て何かを感じる。審判は試合の環境をベストになるよう調整する。そういうハンドル感、「サッカーをより楽しくエキサイティングなものに導いていく」というような感覚が審判の醍醐味でもあって、裏方ではあるのですが、その点にいまも喜びを感じています。

img_7517-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc玉乃 想像するに楽しいことばかりではないはずです。「オモシロそう」と、ウキウキして入っていった審判の世界、実際は、現実はどうでしょうか?

家本 もちろん違うよ(笑)。思った通りになんて滅多にいかないし。自分が反則と思っている認識と他の人が思っている認識がすごく乖離していることもあるわけです。審判も選手も「自分は正しい。」とプロフェッショナリズムの中で思っているわけだから、当然難しくなります。「下手クソ。」とかピッチの中でも外からも言われますからね。心の葛藤というかモヤモヤ感は常にあって、その捌け口が僕ら審判にはどこにもないという辛さは現実問題としてあります。僕らも選手と同じ人間だから、時には「ウォー」って叫びたくなる時もあるんですよ(笑)。これって僕らトップ審判だけの悩みではなく、「町のお父さん審判」のレベルでも同様にあって、審判をされる方を本当に苦しめているんです。とはいえ、いい意味でいうと、ものすごく鍛練されました。なかなかないでしょ、生きていてこれだけボロカスに言われること。公平・公正・公明という「聖人」が持ち合わせるような「3大美学」が審判には求められているわけで、だからどちらかには絶対に寄れないですよ。「みんなを喜ばせるようなことが全然できていないよな。」みたいなことを常に課題として考えていて、自分に対するもどかしさや物足りなさみたいな感情に苛まれながらキャリアを積み上げてきました。だから、「自分をもっともっと高めない限りこの問題は解決しない」と思って、いまMBA取得のために大学院に通って、「どのようにすれば俯瞰して物事全体を見ながら部分を最適化して、全体としてのバランスを取ることができるようになれるか」といったことを日々学んでいます。経営者目線とでもいうのでしょうか、常に全体を見ながら、どうやったらみんなが喜ぶことができるだろうかということを、経営者や経営者になろうとしている人たちの中で学んでいるのです。当然、人間関係ですから、心の葛藤やストレスや怒り憎しみが渦巻くので、そこをうまく調整しながら「みんなで力を合わせて、みんなにとって最高の喜びをつくりあげましょうよ。」というものを実現させたいと思っています。