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河野淳吾×玉乃淳 ”競輪の世界は、生きるか死ぬか”

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TJJ_河野氏 メイン_日焼け①

「お金の面で夢はある。それに、すべて自分次第で勝ち取れる世界。」

 

スクールコーチも悪くないけど、

それもあまたある

職種のうちのひとつだって

考えられたほうが…。

 

玉乃 ジュンゴみたいなタイプが、一風変わったセカンドキャリアを歩んでいる気がする。サッカー界のつながりだけだと、セカンドキャリアの選択肢が少なくなってしまうのではないかな。どうしてもサッカースクールのコーチとか…。

例えば、年俸250~300万円の選手に、「プロ選手だから、24時間サッカーのことだけ考えていろ。」と言うのは、酷なかもしれないね。将来のために視野を広げたり、違う世界を見たりすることも必要なんだろうね。

河野 すべてをサッカーに捧げるって生き方も決して間違いではないと思うけれど…なかなか難しいよね。人それぞれ、捉え方も違うわけだし。

玉乃 正解がない議題だよね。

河野 ああ。でも、それこそこの対談を読んで考えてくれたらいいよね。自分になにが必要なのかって。

玉乃 じゃあジュンゴは、多くの選択肢があるなかで、どうして競輪だったの?どこに魅力を感じて?

河野 自分の力ひとつで稼ぎが変わるって世界が、魅力的にみえた。知り合いに普通の仕事も紹介されたけれど、惹かれるものがなかったし、小さな枠には収まりたくなかった。稼ぐも稼がないも、すべて自分次第。そんな世界で、やれるところまでやろうって決心したんだ。

玉乃 ジュンゴは根っからのプロスポーツ選手気質で、この勝負師的な性格は一生変わらないんだろうな。

河野 サッカースクールのコーチでも全然悪くはないとは思うよ。でも、それだってあまたある職種のうちのひとつにすぎない…そんなふうに考えられたほうが、きっとサッカー界はもっと面白くなるんじゃないかな。ユースチームのコーチになって…トップチームのコーチを経験して…監督になる…こんなキャリアは想像しやすいし、いままでも結構あったと思うけれど、たとえば、違うビジネスで成功して…サッカーチームのオーナーになって…監督までやってしまう…こんな発想の人は、きっといないだろうね。俺は、プロサッカー選手になるぐらいの素質や才能があれば、そんなことも決して不可能じゃないと思うんだよね。

玉乃 プロサッカー選手になるのって、東大に入るより確率的に難しいって言われているくらいだからね。まして、引退後に競輪選手になるなんて、東大からカーネギーメロン大学を主席で卒業するくらい難しいことだろうね(笑)。

ところで、もし後輩からセカンドキャリアの相談を受けたら、競輪の世界を勧める?

河野 まあ、夢はあるよね、お金の面で。それに、すべて自分次第で勝ち取れる。俺は最初、自転車が好きでこの世界に入ったわけじゃないけれど、今はどんどん好きになっているし、毎日が楽しいよ。レースに勝って賞金を手にしたときの気分は格別だよ!!

玉乃 賞金はその場でもらえるの?

河野 うん、現金をその場で。だから、たとえ少なくても、仕事をしたんだっていう気持ちになる。俺は命がけで頑張ったんだって(笑)。

玉乃 でもJリーガーの頃みたいに、月々の固定給がないから大変じゃない?

河野 レースに出て、初めてお金になる。出なければゼロ、いや経費は自己負担だからマイナスだよ。だから毎日、死ぬ気で練習するんだ。

玉乃 厳しい世界で生きているんだね。サッカー界から引退後も、こうしてプロとしてチャレンジし続けているジュンゴが眩しく見えるわ!! 一度しかない人生をどう生きるか、どこまでチャレンジしていくか…。僕も考えさせられるよ。

 

突然の怪我による現役引退。プロスポーツ選手なら織り込んでいるはずのリスクでも、実際にそれを突き付けられたときの心境は想像を絶します。にもかかわらず、また勝負の世界を選択し、チャレンジするという河野淳吾氏の歩みは、彼が生粋の勝負師なのだということのなによりの証なのでしょう。そして、自他ともに認める「生きるか死ぬか」の世界で、「人生一度きり、やりたいことをやる。」と明言できるのは、レース前に彼が握りしめるペンダントにこめられた家族の心が支えになっているからに他なりません。

異色ともいわれる河野淳吾氏のセカンドキャリア。その歩みが順調であるかどうか。それは、彼からの便りに添付された1枚の笑顔の写真が僕にこたえてくれました。

河野淳吾(こうの じゅんご)プロフィール

東海第一中学、清水商業高校とサッカー名門校を経て、2001年サンフレッチェ広島入団。2005年横浜FC、2006年水戸ホーリーホック、2007年徳島ヴォルティスとJリーグ各チームを渡り歩き主力として活躍。2007年6月札幌戦で右足下腿骨を骨折し、懸命のリハビリ活動を続けるも2008年シーズンに現役引退。

2009年日本競輪学校入学、2010年に同校を卒業し、競輪選手登録。2011年1月、小田原競輪場でデビュー。6カ月ごとの競争得点によって分けられる階級で現在A級に位置する。転向組が多い競輪界で、初めての元Jリーガー。

サッカーダイジェスト2012年3月27日号掲載