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樹林伸×玉乃淳 “好きなことの延長上じゃないと長続きしない”

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「今日からオレ小説書きます。」 

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玉乃 幼少時代から趣味が広かったのですね。それには何か理由がありますかね?

樹林 親が放任主義だったんだよね。勉強しろなんて全然言わなかった。オレが宿題やっているかどうかなんて全然興味ないみたいな。実際、そんなわけで、勉強はあんまりやらなかったから、家でも外でも自分のやりたいことだけをやっていたんだよ。親父はメーカー系の二代目の経営者で遊び人(笑)。母親は家でテレビばっかり見ているみたいな家庭。でも昔からよく人が家を出入りしていてさ。客人がみえていてもお構いなしで自分の趣味に没頭していたね。漫画読んだり、いきなりヌンチャク作ってみたりとか(笑)。

玉乃 勉強はからっきしダメでも、「好き」が高じてある能力が突出した!みたいな感じですかね? 

IMG_5381 2 のコピー樹林 そんなことないよ。勉強はできた。とにかく本を読むことが好きだったから。テストなんて読んだことをそのまま書けばマルもらえるじゃない? 図鑑だって楽しくて、読めば理科はできるじゃない。そんな感じで、勉強している感覚は一切なかったけれど、中学行ってもテストの点数はよくて、「あれ、オレ結構勉強できるんじゃね!?」みたいな。面白い授業は黙って聞くわけよ。それ以外はやっぱり寝ちゃうけれど(笑)。小学校のときは画家になりたいと思っていて、高校生のときはミュージシャンになりたいと思っていたんだよ。でもミュージシャンって本当に凄い人でも全然食えてないってことを知ってしまって、これはオレでも無理だなと思って、急遽大学受験。浪人して。

玉乃 好きなことだけやってきた少年が初めて現実に直面したわけですね。天才街道まっしぐらの人生かと思いきや、意外と堅実ですね(笑)。

樹林 いや、てかオレぜんぜん天才じゃないし。ただやりたいことを楽しく一生懸命やってただけで。で、大学卒業して講談社に入社。それから12年勤務。本当は5年くらいで辞めようと思っていたんだけれどね。自分でモノを書く仕事をフリーでやりたいと思っていたから。大学時代は遊んでばっかりだった。それで遊びの延長の仕事はないかなと思って、就職活動はマスコミとかミーハーなところばかり受けて…ことごとく落ちた。で、これもう留年するしかないなと思って、面接の帰りに御茶ノ水駅で立ち読みしていたんだよね、「面接クソっ!」とか言いながら。子どもの頃から本屋で立ち読みするのは日常だったけれど、その日も一冊立ち読みした。栗本薫さんの推理小説「僕らの時代」っていう本をね。面白いなって思って読み終わって、本を閉じたら背表紙に「江戸川乱歩賞募集」って書いてあるじゃない。それ見て、「あ、小説書こう!」って思って家路についたのよ。留年するつもりだったし、やることないからね。帰宅すると母親がいてね。「おかえりぃ。」って。「わたくし、正式に留年することにいたしました。」って報告するじゃない。「今日からオレ小説書きます。」って続けたら母親吹き出して…爆笑だよ。「ブ、ファファファ…好きにしなさい。」みたいな(笑)。「人間、なんとか生きていけるものよ。」って。

玉乃 お母さまが放任主義でなかったら、「神の雫」も誕生していなかったのですね。危ねぇ(笑)。

IMG_5091 2樹林 ははは。で、ゴミみたいな小説を書き始めた。でもね、書き始めると、次第に書くことが面白くなっていって、なんだかんだ手書きで原稿用紙380枚…それくらい書いたかな。もう書き終わる頃には「オレ、絶対モノ書きになる!」と思っていたよ。書いているとわかってくるんだけれどね、自分がたいしたことないのはね。でも、やればできる気もしていた。フリーライターをやっていた姉貴に「なんか『書く』仕事ない?」って聞いたら、「アルバイトあるよ。」って。某出版社で専属のライターを探していた。そこから『物書き』としての人生が始まったんだよね。

玉乃 ある意味、一度は目標であるフリーライターになったわけですよね?そこからあえて講談社に入社されたのですね?

樹林 そう。大きなところで修行した方がよいだろうという思いで。入社前には既に技能みたいなものは当然身についていたけれどね。当時ライターが少なかったから、かなりの仕事量だったんだよ。人づてで、どんどん仕事が入ってきてね。そのままフリーでやってもいいかなという思いもあったけれど、まず大きいところに行こうと最終的には考えた。

玉乃 幼少期から脚本家を目指して着々と準備を進めていたわけではなく、偶然も含めたいろいろな経緯で、この職に導かれたのですね?少し意外でした。

樹林 そうそうそう。凄くいい加減な選び方。で、そこから12年間講談社で働いた。性にあっていたんだろうね。とにかく面白かったよ。