TAMAJUN Journal

岡部恭英×玉乃淳(前編)“どんどん海外に出て行かないと、とてもじゃないけれど日本は世界で勝てない”

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目標は「もう一度日本でワールドカップを」

 

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玉乃 そういう選択肢ってあるのですね。海外で勤務する方って、日本の企業に就職して日本で何年か働いてから、その後駐在員として海外に出られるものかと思っていました。

岡部 島国の日本ぐらいじゃないかな、日本に生まれたら日本で働くっていう選択肢しか頭にないのは。面白そうな仕事を見つけるのであれば、選択肢が多い方がよいじゃない!グローバルな視野をもっていたら、僕のとった行動は、当たり前なんだろうね。結局、英語ができればどこにでも行かれるんだよね!だから英語は学んで!!選択肢が無限に広がるから。

玉乃 今でこそ、アジア人の唯一の席を射止め、世界中の人が夢見るチャンピオンズリーグの放映権とスポンサーシップに携わっていて注目されていますけれど、ベトナムやシンガポール、アメリカでの5年間のいわゆる修行経験がそうさせていたことが妙に腑に落ちます。

岡部 すべての経験が最高だよ!すべての場所が最高だった。すべてが僕のベースを作ってくれたことに間違いはない。

話を戻すと、せっかく夢のアメリカに行ったのに迷ってしまったわけじゃない。そこでまたエクスターナルファクターがあったんだよ。2002年の日韓共同開催のワールドカップ!アジアとアメリカ時代の友達と一緒に日本にワールドカップ観に行ったんだけれど、もう最高だったよね。海外の友達が楽しそうに日本の人達とコミュニケーションとるわけ。国際交流が一瞬で加速するこのワールドカップって凄いなあと思った。経済効果も数兆円でしょ。素晴らし過ぎると。もし、もう一度日本でワールドカップが開かれたら最高だなと思ったんだよね。実はそれが今の僕の目標だし、あのときの思いが今の僕のサッカービジネスの始まりになったわけ。

玉乃 おー!点と点が繋がり始めている!ちなみにベトナムやシンガポール時代はサッカーへの思いは皆無だったのですか?

岡部 二度と見たくないと思っていた。大学時代試合に出られなくて挫折しているからね。でもね。ベトナムでもサッカーが持つ力って凄いんだよね。国営放送で流れるととにかく国全体が盛り上がる。やっぱりサッカーって、英語と一緒で最高のグローバルツールなんだよね。そして、二度と見たくないと思っていたサッカーが実は常に僕の身近にあった。

アメリカ時代に、スポーツマーケティングで生計をたてられるというのを初めて身近で見たので、ワールドカップのときのあの感動とリンクしたんだよね、国際交流とサッカー、スポーツマーケティング。

玉乃 スティーブ・ジョブスならぬ、スティーブ岡部ですね。点と点がいよいよ繋がったわけですね。

岡部 スティーブじゃなくて、ヤス岡部なんだけれど…まあいいや。それでね、日本にもう一度ワールドカップをもってきたいと完全にスイッチが入った。「僕はワールドカップでプレーもできないし、監督もできないけれども、違う形で関われる!」アメリカでの経験から「肌」でわかったんだよね。

玉乃 いよいよここから「TEAM MARKETING AG」へ入社するまでの軌跡が語られるわけですね。初公開ですかね。


時間の経過をまったく感じないインタビューです。事実は小説より奇なりとは言いますが、早く次のページを読みたくなるような岡部氏の冒険の書は、僕やスタッフを瞬く間に虜にしてしまいました。

後編では、いよいよ舞台をヨーロッパに移し、岡部氏の活躍は輝きを増していきます。世界に誇れるアジア人、”YASU” OKABEはこのあとどのようにしてUEFAチャンピオンズリーグと出会い、携わっていくのでしょうか。後編もどうぞご期待ください。

岡部恭英(おかべ やすひで)プロフィール

1972年生まれ。慶應義塾大学卒業後、東南アジア、米国で商社勤務を経て、ケンブリッジ大学でMBA取得。

2006年TEAM Marketing AGに入社し、UEFAチャンピオンズリーグの放映権販売などを手掛ける。アジア・パシフィック&中東・北アフリカ地区統括営業責任者。UEFAチャンピオンズリーグにかかわる初のアジア人として、放映権ビジネスで沸くスポーツビジネス業界で一躍「時の人」となっている。