TAMAJUN Journal

岡部恭英×玉乃淳(前編)“どんどん海外に出て行かないと、とてもじゃないけれど日本は世界で勝てない”

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Jリーグがイギリスのデジタルコンテンツ会社と10年間で2,100億円という破格の放映権契約を締結して世間を驚かせましたが、解説者として「放映」と「サッカー」に携わる僕も今後業界がどのように変革していくのか期待と不安の気持ちでいっぱいです。

さて今回のスペシャルゲストはその放映権とスポンサーシップセールスに携わり、12年にわたりヨーロッパを舞台に戦う岡部恭英(YASU)氏です。40億人以上もの人が視聴しているといわれるUEFAチャンピオンズリーグにかかわる初のアジア人である岡部氏は、1992年にUEFAとともにチャンピオンズリーグをたちあげスポーツビジネス界のトップランナーに躍り出た「TEAM MARKETING AG」につとめ、アジア・パシフィック&中東・北アフリカ地区営業統括責任者として大活躍中です。

インテリジェンス溢れる風貌や仕事ぶりとフランクで誰からも愛されるキャラとのギャップをお楽しみいただきながら、「時の人」の足跡をともに振り返りましょう。きっと夢と勇気をあたえてくれるはずです。

半日におよんだロングインタビュー、全編を2編にわけてお届けいたします。


慶應ソッカー部で味わった“挫折”と、そこから生まれた信念

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2015-16 チャンピオンズリーグ決勝戦が行われたミラノのホテルにもお招きいただきました

 

玉乃 チャンピオンズリーグ決勝戦の際は、ありがとうございました。ミラノのホテルに設置された特別室にまで通していただいて。岡部さんがただの酔っ払いではないことに、初めて気づかされましたよ、あのとき(笑)。

岡部 まあ、確かに普段会うときは結構酔っ払っているからね(笑)。

玉乃 それにしても渦中の岡部さん!今回は本当によくぞこの取材を受けていただけました。テレビをはじめ一連の放映権のニュースがらみでオファーが殺到しているとお聞きしています。そのうちのほとんどを断られているなか、我々の理念に共感していただき感謝しています。

岡部 まあ、タマジュンみたいな、若い奴がどんどん海外に出て行かないととてもじゃないけれど日本は世界で勝てないと危惧しているからね。というわけで、今日はなんでも聞いてください。

玉乃 芸能人並みのスケジュールの岡部さんを、ようやく捕まえることをできたので、根掘り葉掘り遠慮なく質問をぶつけていこうと思います。まずは、絶対コンプレックスとなっているのではないかと思われる幼少期のお話からお願いします(笑)。

岡部 中学時代は野球部で…野球が全然面白くなくて、高校行ったら帰宅部になって遊びまくってやろうと思っていたわけ。この頃ですね…コタツに入ってサッカーの全国高校選手権を見ていたんだけれど、国見高校が初優勝したんだよね。誰にでも人生を変えるようなエクスターナルファクター(外部要因)が必ずあると思うけれど、僕の場合はこれだった。素人の僕が見てもすごくオモシロいのよ、サッカー。「よし、帰宅部やめて、サッカー部入ろう。国見高校倒そう。」って本気で考えて、いろいろ調べて、サッカーも勉強もそこそこの市立千葉高校に進学。だけれど、高校入ったら遊んじゃったわけ。おまけに、全然勝てなくて。

大学時代は、生まれて初めて挫折というものを経験したよね。ひとつ上の尊敬する先輩が進学した慶應義塾に入学したんだけれど、こんどは遊ばず真面目にサッカーを。ただ高校時代センターフォワードだった僕が、守りに転向して、ベストの時で背番号13で終わった。サイドバックは好きじゃなくて、レギュラーになるためだけにやっていたのに、全く試合にも出られなくてね。そのまま卒業。イヤなこと(守り)をイヤイヤやっていて、結局一回も試合には出られなかった。

その経験から人生は、好きなことをやるのが一番だなと痛烈に思ったわけ。慶應義塾體育會ソッカー部卒業だと当時それなりの企業に入社できたんだけれど、「サラリーマンにはなりたくない」と思っていた。この経験が、タマジュンが言うコンプレックスというか、挫折かね。

玉乃 なるほど。すみません趣味が悪くて。成功者と言われる方々のコンプレックスやトラウマを探るのが好きでして(笑)。多くの成功者が幼少期の挫折などを糧に頑張っているケースを見聞きしてきたものですから…。岡部さんにとっては、やりたくもないポジションを散々やらされた挙句、一度も公式戦に出られなかったことが、今の飛躍に繋がっているわけですね。

岡部 本当にその経験が今のモノの考え方の基盤になっているかな。でね、そんな中、大学3年のときに初めてアメリカに行ったのね。アメリカワールドカップがあって。慶應ソッカー部に慶應ニューヨーク校の出身の後輩(元FCバルセロナ、現日本サッカー協会の斎藤聡氏)がいて、東京から鎌倉に行く感覚で連れて行ってくれるわけ、東京からデトロイトに。で、デトロイトのブルームフィールドの湖岸にある彼の実家がすごいのよ。信じられないような大きな家で。それで湖をバックにその彼が白いピアノを弾きだしちゃって…で、それを見てたら完全にイッちゃったわけだよね(笑)。もともと漠然と「アメリカに住みたい、普通のサラリーマンになりたくない。」って思っていたんだけれど、これで完全に大阪生まれ東京千葉育ちのドメドメの僕が「どうしても」アメリカに行きたいという思いをいだいたんです。

玉乃 単純で可愛い動機ですね(笑)。

岡部 そのあと留学を目指したんだけれど、勉強もそれほどできなかったから、伝統ある慶應ソッカー部卒業生の中で、就職もしない、弁護士にもならない、会計士にもならない、大学院進学もしない、プロ選手にもならない…プー太郎になったわけですね。僕の履歴書とか見ると結構エリートに見られがちだけれど、実はプー太郎時代が…金髪・ロン毛・ピアス・アクセサリージャラジャラ的な(笑)。

家庭教師のアルバイトや寿司のデリバリーとかもしたかな。アメリカに行くための英語の重要性はさすがに気付いていたから、六本木のクラブ行ったりして外人と話したり勉強していたわけ。だからお金も貯まらない。

玉乃 今後はちゃんとそれも経歴に書いて下さい。もっとファンが増えますよ。今公表されている履歴書だと近寄りがたい。ただのド天才なんだな、と思っちゃいますから(笑)。