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金子達仁×玉乃淳 “誰もやっていないことを最初にやる”

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いいライターではなく、いいインタビュアーになりたい

k13玉乃 大学卒業後はスポーツ関係の出版社に就職されましたが。

金子 就活の時は、希望のスポーツメーカー系や出版社は箸にも棒にもかからず。だからイタリアに料理の勉強しに行って、そのままイタリアワールドカップ(1990年)を見ようと、それで帰国して西麻布あたりで若き天才シェフとしてブイブイ言わそうと、そんな人生設計をしていた。

ところが、大学4年生の秋に、サッカーダイジェストが主催している同好会の大会に出場したところ、4年生にもなって来ているヤツなんていないから、「君、どうして来ているの?」と聞かれたのよ。それで正直に話した。「実は3年生のときにメキシコワールドカップを見に行き、この後もワールドカップを見続ける人生にしたいと思っているので、来年から料理の勉強も兼ねてイタリアに行こうと思っています。」って。「そんなにサッカーが好きだったらダイジェスト受けてみたら?」って言ってくれて、それで受けたら受かっちゃった。そのとき言葉をかけてくれたのが、今はもう亡くなられてしまったジャンルカ冨樫さん。

IMG_3961玉乃 すごいご縁ですね。

金子 基本的に俺はサッカーが好きな人間であって、ものを書くということに関しては何の興味もなかったし、いまだに好きじゃないし、才能ないなぁって思ったことしかない。謙遜するでもなんでもなく。本当に上手い人っているからね。会社の中でも腰抜かしそうになる人もいたしね、凄すぎて。

玉乃 そんな中、どうやって登り詰めていったのですか?

金子 基本、文章力では勝負できないなとすごく思っていたから…作家としてだとノーチャンス。でもスポーツライターはインタビューするわけだから、そこから凄いコメントを引き出せたら、そこで文章力を補えるじゃない。そこで勝負したいなって思ったのよ。文章上手い方って内にこもりがちな人が多いじゃない。優秀な大学を卒業なされている方が多いじゃない。学生時代のアルバイトで例えれば、家庭教師しかやっていませんという方。俺は、肉体労働と客商売だったから、話を聞くっていうことに関しては、アドバンテージあったよね。とにかくいいライターになろうと思ったことは正直一度もなく、いいインタビュアーになりたいって、ただそれだけだった。

入社してからすぐに、サッカーキチガイ過ぎるという理由で、テニスを担当させられることになったんだけれど、そこで不思議なご縁で、のちにスーパースターになる伊達公子さんのノンフィションを書かせてもらえることになった。そのあとも、たまたまタイミング的に人数が足りなくなったというだけの理由から、サッカーの部署に行くことになってね。文才はないけれど書くスピードだけは早かったから、その後5年間、書いて書いて書き倒したよ。

玉乃 そこからフリーに転身されたわけですね。

k15金子 93年に「ドーハの悲劇」というのがあったよね。俺自身、現地で腰が抜けるぐらいショックを受けて。そのときにね、周りの記者達が割と淡々としていたのよ。「わぁ、さすがプロだな。」と思っていて、それで日本に帰ったときに新聞見たら『感動をありがとう』って埋め尽くされていたのよ。「あれ?皆さんそんなに感動していましたっけ?」という違和感をおぼえて、「あそこまでいって勝てなかったらダメだろう」という怒りも湧いてきて、みんなが『感動ありがとう』って言うのだったら、俺は『オフト、お前のせいだ』って書いてやろうと思って、実際書いたらそれが爆発的な反応。賛否両論だった…「なんだ、このクソガキは。」とか、「よくぞ言った。」とか。当時サッカーダイジェストのただの編集者だったにもかかわらず、俺がテレビや雑誌からインタビューを受けるようになってしまった。

ただね、『オフトお前のせいだ』と言いつつ、俺自身が自信なかった。ビビッていたよ。こんなこと書いて良かったのかな?って。だってヨーロッパのサッカーなんて、ほとんど見たこともないし。オフトはオランダで生まれ育ったわけじゃない。「これはいかん、俺も本場のサッカーを見てみないと」と思って、翌年サッカーダイジェスト辞めてスペイン、バルセロナに行ったわけ。

玉乃 『オフト辞めろ』発言を後悔していますか?

金子 世界のサッカーを知らない小僧が、若気の至りとしか言いようがないよね。後ろめたさもあった。ただ、あの(イラクの)同点ゴールがなかったら100%フリーのライターになっていないし、今の門下生のスポーツライターも一人もいないよな、きっと。

玉乃・金子 ・・・・。