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石塚啓次×玉乃淳 “なんとかなるやろ” は “なんとかする”

2対談風景
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2012年の取材当時、多くの方々から近況を知りたい旨のご意見が殺到した、石塚啓次氏。

山城高校が生んだ天才といわれ、1993年の全国高校サッカー選手権では決勝戦に進出しました。金髪にピアスという風貌で決勝を戦った姿は、多くのサッカーファンの脳裏に焼き付いているはずですが、プロにキャリアを進めてからもその異端ぶりは注目されていました。

和製フリットとも呼ばれたエレガントなプレーぶりと共にその発言は常に注目の的で、「俺を使ったら優勝できるんで」という、ある試合後のヒーローインタビューでの伝説的フレーズはあまりにも有名です。

2003年に現役引退してからも天才ぶりを遺憾なく発揮した彼は大活躍。友人と一緒に立ち上げたアパレルブランドが大ヒットし、若者の憧れの的となります。その後、家族とバルセロナに移住し、現在に至るのですが、セカンドキャリア、サードキャリアを歩む「天才」に独占取材したことは、メディアへの露出が少ない彼のファンからも支持をいただきました。独特の発想を垣間見ることができた取材でした。

素晴らしき「ド無職」

恩師のネルシーニョに呼ばれ、

最後にグランパスでプレーして、

自分の中で区切りがついてん。

 

玉乃 ようやくです、石塚くん。これまで何度、対談のオファーを出したことか(笑)。

石塚 しゃーないやろ、まだなんにも進路が決まってなかったんやから。(これまでの連載ページを眺めながら)しかし、この対談企画で完全な〝ド無職〞が登場するのは、俺が初めてやな。素晴らしき「ド無職」(笑)。それにしても、こういう対談って緊張すんな〜。

玉乃 意外なのですが、実は人見知りで小心者だって、以前にご自身が言ってましたよね。ビールでも持ってきましょうか?

石塚 ええわ、いらんよ(笑)。

玉乃 ちなみにこの連載は、元Jリーガーの現役時代の苦労話や引退を決意した経緯、そして引退後にどういう道を歩んでいるかを探る企画です。

石塚 引退した時のことなんて、もうとっくの昔に忘れたわ(笑)。何年前やっけ?

玉乃 2003年ですから、もう9年前になりますね。

石塚 うーん。まあ、現役生活最後の3年間くらいは、ほとんどプレーしてないからな。なにしろ02年のヴェルディ、翌年に移籍したフロンターレも、1年契約やのに3か月でクビになったし…。

玉乃 なにがあったんですか?

石塚 知らんわ(笑)。ヴェルディを退団した後、友人を訪ねて家族でシンガポールに旅行した時、あるクラブの練習に参加したんよ。そしたら、1日やっただけで合格って言われて、月給30万円、マンション付きで、子どももアメリカンスクールに入れてくれるっていうから、一瞬「ええなぁ、これ」って思ったんやけど(笑)、やっぱりなんか違うかな〜と思って断ってん。

玉乃 それは02年のいつ頃ですか?

石塚 ヴェルディを3か月でクビになって、たしか5月ぐらいかな。シンガポールの後は、アルゼンチンのクラブでもテストを受けたんやけど、アカンかったわ。そんで、しばらく向こうで家族と一緒に遊んで暮らしていたら、突然フロンターレから電話がかかってきて、年明けに帰国して、03年の2月にフロンターレに入ってん。やのに、また3か月でクビになってもうたわ(笑)。

玉乃 なんですか、それ? 理由を知りたいですね。

石塚 知るか!!(笑) それでまたダラダラと過ごしていたら、Jリーグデビュー当時の恩師だったネルシーニョに呼ばれて、最後にグランパスでプレーしたんよ。まあ、それで自分の中で区切りがついて、サッカー辞めてん。

玉乃 今となっては笑い話かもしれませんが、当時は大変だったんじゃないですか?

石塚 ま〜、しゃ〜ないやろ。そんな大変って思ってもなかったし。