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薮崎真哉×玉乃淳 “戦力外からの逆襲”

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玉乃 その後、企業に就職されましたよね?

どういうルートで就職までこぎつけたのでしょうか?そこが今経営者になられた上でのターニングポイントになっているのではないかと思うのですが。

薮崎 本を読みました。松下幸之助の「道をひらく」とか(笑)。

何かにすがりたい気持ちで。

読んだ本の中の「企業でお金を稼ぐために、寝ずに!」などという成功者のエピソードから色々学び、プライドも何もかもを捨てて営業職をやって、それで独立しようと決めました。当時はネットなんてなく、コンビニで売っている就職雑誌を買うお金もなかったので、立ち読みしながら「ここだ!」というところを3社決めて。

玉乃 就職した後、独立されたわけじゃないですか。

業態は独立した会社に関連したような就職先だったのでしょうか。

薮崎 はい、そうです。結果的には同じ業態で独立したのですが、入社前はその会社が何をやっているのか知りませんでした。ただ、大きな会社よりも小さな会社の方が大変だろうけど色々学べると思ったので、なるべく小さな会社を選んだという記憶はあります。

玉乃 なるほど。就職は、後に独立するため。あくまでも企業を勉強するための手段であって、特にその企業が何をやっているのかということは調べずに、ここで営業としてトップになってやろうという思いで入社されたのですね。

薮崎 これが最後、何があっても最後。ここで負けたら実家帰る。「2年以内に独立」「年収は1000万円でスタート」というのをノートに書いて再スタートを切りました。

玉乃 なるほど。それってやっぱりセカンドキャリアを歩む上で何をするのかで悩まれていたところで、「独立したい」「年収1000万円になりたい」ということだけは明確だったわけですね。ほとんどの人は、好きじゃないとその信念を貫けなくて、途中でやめてしまうっていうケースが多いと思うのですが、どちらかというと薮崎さんにとっては極端な話、(職種は)「何でもいい」というような思いだったのでしょうか?

薮崎 そうですね、はい。サッカーを辞めたときに色々な知らないことを自分なりに調べていくうちに、もう好きなことで仕事をするのは無理だなって、なんとなく感覚でありました。というか、そもそもプロになった瞬間、僕はサッカーを好きじゃなくなっちゃったんですね。仕事になった瞬間。

玉乃 なるほど。失礼ですが、何かコンプレックスがあるのですかね?

別に年収1000万じゃなくても大社長にならなくても、ある程度の就職をして安定を求めるという選択肢もありますよね?

薮崎 なかったですね。

僕の父は20数年勤続している会社員で、母も保守的で。それに対する反発心から来ているのかもしれませんね。

引退当時24歳で「過去にサッカー選手だったけれど、結果的には単なる『ぷー太郎』と一緒だ」っていう自覚があったので、同じ世代のJリーガーより、絶対に収入ぐらいは負けたくないという思いはありましたね。今はもうないですけれど。

玉乃 今はなぜなくなっちゃったのですか、もう神の領域に入っちゃったのですか?

薮崎 いえいえ(笑)。今はもう、誰かと比べるようなことはないですね。